2009年から阪神電車と近鉄が相互乗り入れした。
関西から奈良に行くのがずいぶん楽になった。
我が家から西大寺までもかなり時間短縮になる。
西大寺まで行きそこに来ていた普通の「天理行き」に乗って安心していたら
「なんだか乗り換えの注意!車掌が言っている!」
慌てて降りたのが平端駅。やはりここで天理行きと橿原行きは違う路線のようだった。
西大寺からはやはり急行に乗るべきだった。
駅の数が多いので、各駅停車で・・・・時間がかかる感じがする。
橿原で降りると日曜のこともあり案内掛りがあちこちに立っていた。
東口に出て#2のバスを待ち「万葉文化館」まで乗った。
途中アチコチに寄りながら、迂回路が結構長いがお陰で各所の地理関係が大よそ判った。
「万葉文化館」はびっくりする様な立派なもの。敷地・立地の条件はもちろん建物も素晴らしい!
また今回は特別企画の「平山郁夫展」。
今までにもいくつかの作品を見ているが、大作の風景画を見るとやはり感激する。
今回の主な出展作品は:
【プロローグ】
#3 高燿る藤原京の大殿
1969年 紙本彩色・六曲一隻 166.2*363.0
潟eィラド蔵
【第1章 仏教伝来の道】
#7 仏教伝来
1959年 紙本彩色・二曲一隻169.8*221.6
佐久市立近代美術館蔵
#8 求法高僧東帰図
1964年 紙本彩色・四曲一隻181.0*366.9
平山郁夫美術館蔵
【第2章 シルクロード】
#9 マルコポーロ東方見聞行
1976年 紙本彩色・六曲一隻 171.0*366.0
潟Wャパンヘルスサミット蔵
#10 朧月夜ブルーモスク・イスタンブール
2007年 紙本彩色・額装
80.3*116.7 平山郁夫シルクロード美術館蔵
#18 バーミアン大石仏を偲ぶアフガニスタン
2001年 紙本彩色・額装
116.7*80.3 平山郁夫美術館蔵
#27 大雪山霊夢
1976年 紙本彩色・額装 89.5*130.5
#34 敦煌A
1980年 紙本彩色・額装 98.0*131.5
平山郁夫美術館蔵
#35 黄河(宵)
1986年 紙本彩色・額装 171.0*363.5
#36 黄河(晨)
1986年 紙本彩色・四曲一隻・仮額装 171.0*363.5
広島県立美術館蔵
【第3章 奈良大和路そして古代幻想】
#61 結因の銀河(長谷寺)
1986年 紙本彩色・額装 89.5*64.0
板橋区立美術館蔵
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文化館のすぐ傍に酒船石と亀形石造物の案内板があった。
少し急な坂を上ると林の中に酒船石があった。
この岩の表面に掘られた溝がなにの目的で作ったのか?なにに使われたのか?
現在でも不明の様だ。この山は人口的に作られたものだとの説明があったが・・・
坂の途中から直ぐ眼の下に亀形石造物が見下ろせる。
これらは比較的最近に発掘・発見されたもので山の上の酒船石との関係を推測されたが現在では「無関係!」との説明になっている。これは亀形石造物の山側に湧水井戸が発見されたので酒船石が水源ではないらしい・・・との考えのようだ。この亀形石造物も確たる使用目的は不明の様だ。
ここの見学の後、飛鳥寺に向かった。日本最古のお寺で建立当時は三重の塔を中心に一塔三金堂形式の伽藍配置だったそうだ。裏門から出るとすぐ蘇我入鹿の首塚が見える。ここから少し歩き「甘樫の岡」に向かうと直ぐに「水落遺跡」に出くわした。webで見た時には近くの建物と一緒に写っていたのでてっきり大きな建物と思っていたが単に遺跡が残っているだけだった。甘樫の岡の展望台に登り持参した弁当で昼食をとった。
風が涼しく大和三山を眺めながら・・・ここが大和の中心地・・・との思いで何枚も撮影。
甘樫の岡を南に縦断し橘寺に向かった。境内の二面石を見て・・・まだ時間があったので
石舞台古墳に向かった。広場には舞台が作られて数日にわたりいろいろなコンサートがあった。後で判ったがこのコンサートの出演者や観客が民宿に泊まっていた。
ここの石舞台は身分の高い人の墳墓で石棺もあったと想像される。
今のところ埋葬者は、不明とのこと。
しかし、飛鳥時代に権力を握っていた蘇我馬子の墓との意見が多いようだ。
ここから岡寺に向かう。山側のかなり急勾配の道を歩いた。その後近くの民宿に到着。
4時頃に到着。汗を流したあとでTVでゴルフ観戦。谷口と横峯の優勝を見た。
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